8月19日 子どもたちへのメッセージ(第三十四回)の収録を終えて

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今週は、「道徳教育の現状」について取り上げました。学校で行われている道徳教育のスタイルに対して一教育者である水谷さんは「違和感」を感じるといいます。そもそも道徳とはどう学んでいくものなのでしょうか。

■学校での道徳教育
皆様、こんにちは。参議院議員の浜田まさよしです。今週は、道徳教育の現状について考えていきたいと思います。そもそも何故、道徳教育が必要なのでしょうか。

基本教育法第1条(教育の目的)により、「教育は人格の完成をめざす」とあります。そういう意味では教育によって人格の完成を目指していくというのは、教育の基本ではないでしょうか。ところが現在は、地域や家庭の教育力が落ちてきて、どうしてもその多くを学校でカバーしなければならないのが現状です。

■道徳教育の在り方
一教育者として水谷さんは道徳を学校で教えることに違和感を覚えると言います。道徳とは教えるものなのか、我々大人たちが生き方として見せるものではないのかと。現在、小・中学校では週に一時間道徳の時間があるのですが、これは教科ではなく、点数評価はありません。本来は水谷さんが述べたように、一つの物事で道徳は教えるもではなくて、例えば国語の教材を通じて生き方そのものを学ぶ、また、理科科目で生物を通じて生命の大切さを、歴史の中で戦争を通して平和の重要性を、このように全体で学んでいくのですが、これが中々難しいのが現状です。

道徳の教科書がありますが、道徳とは文字で伝えるものではありません。今回残念に感じたのは、先日の大津市の中学生男子自殺事件のいじめがあった中学校は、数年前まで道徳教育のモデル校とされていました。あれだけ教育をやってもあのような痛ましい事件が起きる、現場の道徳の捉え方がどうしても形式的でしかないのという現実がよく表れています。

子どもたちにもっと道徳を身に着けさせるにはどうすれば良いのでしょうか。水谷さんは道徳の基本にあるのは「礼」であると話しました。我が国は礼に関しては最も厳しく、伝統を守ってきた国であり、むしろ道徳よりも「礼」を教えるべきではないかと。学校でもおじぎができている学校はきちんとしている、学校だけでなく家庭や地域でおじぎやあいさつの仕方から教えていく、これを国全体で取り上げていくことが大事ではないでしょうか。

■二宮金次郎の銅像から学ぶこと
かつては、多くの小学校の校庭には二宮金次郎が薪を背負った銅像がありました。

調べたところ、二宮金次郎は現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)の農家の長男として生まれました。5歳の時に大きな台風があって家の田畑が流されてしまいます。数年後に両親が相次いで亡くなり、叔父の家(二宮家)にお世話になりました。そこで田畑をもう一度興し、家を再興し、その力を買われて小田原藩に仕えることになりました。そして、自分の身の回りのことから経済を興し、国を興すというモデルになったと言います。

しかし現在では、本を読みながら歩くのは、交通安全上問題だという事で撤去されている学校も多いと聞きました。それは歩きながら本を読んだと言うよりも、働きながらでも本を読むくらい熱心に本を愛したと捉えるべきであり、本質から離れた考えです。また、教育における本の大切さも教えています。

人の考えを知ることができるし、人の歴史を知ることができる。これはとても大事なことです。私自身も小さいころは本を読むことが苦手だったのですが、成長するにつれ、徐々に読みたくなる時期があり、読んだものを書いてまとめるという作業が大変力になり、後の勉強に役立ちました。生きた道徳を身に着けた上で、子どもたちにも「読む」、「書く」ことに慣れ親しんでほしいと願っています。

「子どもたちのメッセージ」は毎週日曜日17:25~40 ラジオ日本AM1422Hzで放送中です。(→番組ホームページ

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