ハマダレポート Vol.440. ーあの日を忘れないー

ハマダレポート Vol.440. 2018.6 18

ーあの日を忘れないー

福島県南相馬市で全国植樹祭が行われ、天皇・皇后両陛下が、6月9日から11日にかけて、福島県をご訪問頂きました。

10日の植樹祭での、お手植え、お手播きの模様は全国に放映され、ご覧になった方も多いと思います。

11日には、相馬市の慰霊碑への献花の後、津波で殉職した消防団員・阿部健一さんのお母様、洋子さんにお声をかけられました。

「人を助けるため、一生懸命、頑張りましたね。」

また、皇后陛下からは、「(健一さんは)何歳だったのですか。お子さんはいたのですか。」とご質問され、洋子さんは、「39歳でした。二人の娘がいます。」と気丈にお答えになりました。

相馬市では、東日本大震災で458人が犠牲になり、消防団員10人が殉職。そのうち9人は、市内で最も甚大な被害に見舞われた、同市磯部の第9分団所属で、健一さんは副団長でした。

「息子よ、”あの日”をうらまない。使命に生きた人生だから。」

阿部洋子さんへのインタビューが、公明新聞・東日本大震災取材班編の『命 みつめて』に収録されています。

”愛息と共にあった39年。母が子に伝え、教え、求め続けてきたものは、「人のために尽くせ」、それだけだった。

そのままに生きたわが子ゆえの悲報。それだけに、やるせない思いに駆られることもある。それでも、「健ちゃんが来たから助かった」と何人もの人が声を掛けてくれた。

泥の中から見つかったわが子の写真がある。「思い出すから」と見るのを避けてきたが、先日、久しぶりに手に取った。自然と笑みがこぼれている自分に気がついた。「ちょっと前を向けただろうか」

同じ仮設住宅に住む健一さんの長女・彩音さんと次女・穂波さんは最近、ますます息子に似てきた。二人の自慢は「地域のために最後まで力を尽くした父」。

洋子さんは自らに言い聞かせる。「孫たちが大きくなるまで生きねどなんね。健の分まで生きねえと」。

母から子へ。そして孫へ。”命の絆”は、あの日を超えて受け継がれていく・・・・。”

“あの日”を忘れない。浜田まさよし、寄り添い続けて参ります!

 

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