[No.1660]ハマダレポート Vol.276.ー震災前模型でよみがえる街の思い出ー
ー震災前模型でよみがえる街の思い出ー
「失われた街、模型復元プロジェクト」をご存知でしょうか?
3,11東日本大震災の津波などで失われた街を、全国の建築学生のボランティアにより500分の1の縮尺の模型で復元していくプロジェクトです。
岩手県の釜石、大船渡、大槌、宮城県の気仙沼、女川、石巻、福島県では浪江町、南相馬市小高地区、富岡町など約40のプロジェクトが進められています。
先日、NHKで富岡町のプロジェクトについて放映されていました。
第一原発から10キロの地点にある富岡町。地震・津波に加え原発事故で、震災前の人口1万6千人の方々に未だ全町避難が続きます。
学生たちが作り上げた、富岡駅周辺と桜並木で有名な夜の森地区の復元模型が、避難先の郡山といわきで順次展示され、避難されている方々が自分の家や思い出の街並みに絵の具を塗っていくのです。
今、郡山に避難している女子中学生Sさん。お母さんの言葉によると避難先で友達を作ろうとしないのだと心配されていました。
今なぜ自分は郡山にいるんだろう? 本当の自分じゃないんじゃないか、誰にも必要とされていないと思ってしまうとのこと・・・。
お母さんともに郡山の会場にやってきたSさんが、模型を見て堰を切ったように語りだしたのです。夜の森地区の桜並木・桜の「じゅうたん」の中を通学していた思い出、桜まつりで思い切ってみんなで「よさこい」を踊った思い出・・・。
お母さんと桜の木の模型にピンクの色を塗り、その後、いわきの避難者のイベントでもう一度よさこいを踊るSさんには汗に弾ける笑顔がありました。
父親が夜の森駅の駅長されていた70代の婦人。少女時代に町民が一本一本挿し木をして、駅のツツジの大花壇をつくった思い出を語り始め、模型のツツジの赤や駅舎の屋根に緑色を塗り、その後震災後初めて、帰還困難区域にある自宅に片づけのために向われたのこと・・・。
富岡川のサケの孵化場が心配になって見に行った父親を津波で亡くした壮年とその母。サケの養殖に命をかけた老父の思いをたどりながら孵化場に水色の色を塗り、親子で富岡から移転することを話し出しました。
一人一人の「思い出のつまった街」。浜田まさよし、しっかり受け止め、その復興再生を進めて参ります!
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