浜田の視点:今を見すえ、未来を創る
2010/04/10
横浜駅前を二人で“夜回り”に歩いたのは2009年10月の深夜。「福祉の公明党だからこそ青少年を取り巻く環境を知るべきだ」。浜田の提案に水谷氏が応えてくれた。
薬物依存の深刻な現実を受け止め、11月に浜田は薬物依存患者の治療・支援体制の充実を政府に働き掛けた。政府は児童相談所や保護司、学校の養護教員らと連携した地域支援活動を約束した。
休業中の手当や賃金の最大9割を助成し250万人以上の雇用を守った雇用調整助成金制度。申請までの期間が1カ月と短く、申請に二の足を踏む中小企業経営者が少なくなかった。
横浜市鶴見区の経営者から、そうした声を聞いた浜田は、翌日、さっそく厚生労働省へ向かい、運用を改善するよう直談判。はじめは渋っていたが、次の日、「申請期間を『2ヵ月以内』に延長する」との通達が出された。わずか3日間で経営者の窮地を救ったのである。
高齢者や障がい者は、健常者と別々に暮らすもの―。日本ではかつて、こんな考えが幅をきかせていた。「バリアフリー」という言葉がまだ普及していなかった30年前のことである。
通産省(現経済産業省)1年目の浜田は「障がい者も健常者も共に暮らせる社会をつくりたい」と決意。暮らしの根本となる「住宅」に焦点を定め、住宅メーカーの研究者と徹底的に議論をし、障がい者を介護する家庭にも足を運んだ。1983年、浜田の提案が原型となり、茨城県つくば市に国内初の「福祉モデルハウス」が完成。バリアフリーの先駆けとなった。
バリアフリーを社会の常識にした浜田は、誰にもやさしい「歩いて暮らせる街づくり」を推進。「街と心のバリアフリー」実現に奔走している。
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