[No.623] 恐るべし「事業仕分け」の副作用

11月29日(日)、朝のテレビから夜まで、先週まで行われていた「事業仕分け」の話で持ちきりです。

マスコミの評価

確かに、国民目線で税金の使い道である国の予算を「仕分け」することに関心を引いた点は高く評価されますが、各種マスコミは以下の点につき厳しい評価をしています。

1.予算の削減額が見込みを大きく下回ったこと:民主党は衆議院選挙で国の予算約200兆円の1割20兆の無駄削減は民間のセンスからすればできると豪語していましたが、仕分けの目標額は低めの3兆円に留めました。しかし、9日間での削減額は6700億円から7800億円と目標額の3割以下に留まり、一回きりの基金等の埋蔵金とりくずしも9600億円、しかも、これは基金のとりくずしで今後毎年の補助金等の予算支出が増えるという隠れ借金をつくった結果になりました。

2.成長戦略など国家戦略なき「削減」:スーパーコンピューターやロケット開発が廃止や大幅削減になったことにより、何のための「削減」かが問われました。あくまで「ムダ削減」は、そのつくったお金でより有効な投資、国民が望む支出に向けるために行うものです。一方で、子供手当て5.3兆円、暫定税率廃止2.5兆円、高速道路無料化6000億円、アフガン支援4500億円など、全く中身が詰まっていない、国民支持もあいまいなものに振り向けられるとしたら、予算を切られた公務員の担当者は多分、虚無感に陥るでしょう。

3.財務省主導・専門化不在の判断:今回の仕分けには財務省から事前に論点という「マニュアル」が配布されており、最終評価がその論点どうりであったということです。財務省は自民党の族議員がいないこの真空状態を利用して、95兆円というとんでもない予算による国の借金拡大を少しでも縮小すべく、一気呵成に「仕分け」しようとしたのでしょう。仕分けの対象事業449事業に財務省案件が極端に少なく、急遽藤井財務大臣が追加したという失態もありました。特に問題なのは、国民目線を重んじすぎる反面、専門的判断が軽視されたということです。スパコン等の世界の競争状況は踏まえられたのでしょうか。仙石行政刷新大臣は専門家もいたとテレビで発言しましたが、それならその専門家の名前と略歴を公表すべきですし、その後のノーベル賞受賞者の反論であっさり鳩山総理が再考を約束するのは茶番劇のようです。世界の平和構築に自衛艦や文民、NGO、アジアの人たちを育成するPKO訓練センターは、衆参両院でいままで一回もムダとの指摘がなかったのに、たった1時間の議論で廃止となりました。インド洋にも派遣せず、PKOにも後ろ向きとの姿勢が諸外国にどのよいに映るかを判断した専門家はいたのでしょうか。

恐るべし副作用

しかし、本当に怖いのはその副作用であると私は考えます。以下に列挙します。

1.デフレの加速:鳩山内閣が発足して、でたらめな日米外交は別にして、内政で行った大きなイベントは、3兆円の補正予算凍結と、この事業仕分けです。前者は、直接需要を削減したことにより鳩山不況を招いていますが、後者は、「戦略なき縮減」という国家方針を目の当たりにして、民間企業はいっせいに将来投資を控えてしまいました。まさに「鳩山デフレ」です。一企業のコスト削減・値引き要請対応がデフレスパイラルを呼ぶように、国家自体の「戦略なき縮減」は合成の誤謬の十分な引き金となることを政治家であれば考慮すべきです。全くそんなことは考えず、「スパコンは世界で2位ではだめですか」と聞いた議員こそ、政界から退場と「仕分け」されるべきではないでしょうか。

2.予算のロビングの横行:たまたまスパコンはノーベル賞学者が反論して鳩山総理が再考を約束しましたが、名もなき若手研究者の競争的研究費は誰が政府に再考を迫っててくれるのでしょうか。いままでは、研究者や企業人はまじめに仕事をしていれば、たとえ若干のタイムラグはあってもその窮状を知る公務員が予算の適正配分に尽力してくれる、そうみんなは信じていました。しかし、「政治主導」の美名の下、公務員は指示待ちになり、だれも再配分を提案してくれない。結局、「顔が利く」ロビイストに予算の復活を頼むという、米国のような議会システムに腐敗していくことが懸念されます。

3.「官僚たちの冬」と日本の亡国:しかし、もっと恐ろしいのは、官僚たちのやる気の消失です。政治主導はあくまで国民の意見の代弁でなければななりません。官僚機構により遮断された国民の意見の代弁であれば、官僚自身も納得がいくものです。しかし、それが政治個人の好みであったり、政治家集団のパーフォーマンスであったならば、官僚は無力感に落ちてしまう、今そのことが現実となっています。確かに「天下り」「わたり」は問題です。しかし、官僚たちのほとんどは、政治家以上に「国のため」に、残業代もなく土日出勤して働いてきた、その気概を一言でさえぎって「廃止」という言葉。もはや、働く気も起こらなくなり、指示待ちになってしまう、今そのことが現実となているといのが、私が会った官僚たちの本音です。今年の春から夏、城山三郎の「官僚たちの夏」が佐藤浩市主演でテレビドラマ化されました。通産省の佐橋滋氏をモデルにした風越信吾がよく言う言葉、「我々は別に政治家に雇われているわけではない」との気概が官僚に無くなった時、日本の中央省庁はすべて指示待ち、「進まず、遅れず、働かず」となり、社会保険庁のようになった時、もはや誰もが官僚を信頼しなくなる。そして、どこかの国のように、国民は国自身を信頼せずに、税金を如何に納めないかに汲々とする。

今、日本亡国の引き金が引かれようとしている、その戦慄を感じるのは私だけでしょうか。

,

関連記事