新ハマダレポート Vol.37 ー復興の心象風景ー
2024/07/22
新ハマダレポート Vol.37 2024.7.22
ー復興の心象風景ー
先週7月17日の「農業共済新聞」の福島地方版に、インタビュー記事が掲載されました。その概要を紹介します。
「農業が復興しないと、心象風景は変わらない」
多額の補助金で工場を誘致しても、それは故郷の風景の中では“点”でしかありえません。
雑草が生え、さらには柳の林となってしまった田畑。あちこちに点在するソーラーパネル・・・。
帰還される方々に復興を実感して頂くために、農業の復興を、震災10年の福島特措法改正の中心に位置づけました。
全国に先駆け、農用地利用集積等促進計画(促進計画)を県が作成・公告し、農業法人が県計画地域内の農地面積81.8ヘクタール(農地所有者70人)を集積・集約化しました。今後、スマート農業や農業法人の参入など、新たな営農者の拡大を期待しています。
私の農業復興の原点は、ある酪農家の“涙”です。
震災の年は統一地方選。4月10日の神奈川県議選・横浜市議選の応援を終え、那須塩原までの新幹線とレンタカーで、震災後初めて福島・郡山入りをした4月11日。
当時、福島県では、ホウレンソウやカキナとともに、原乳に出荷制限が出されていました。
「乳牛たちは俺の目を見て乳を搾ってくれと啼くんだよ。搾ってやんないと死んでしまうんだ。でも、その搾ってやった乳は、地面に穴を掘って捨てるしかない。本当につらくて切ない・・・。」
風評被害の防止と営農再開を同時に、そして丁寧に、取り組まなければならないと誓いました。
私の住む双葉の隣の浪江町。昨年11月、ある酪農家が、12年ぶりに牛たちとともに帰還されました。今までの困難を乗り越えられたのは、愛牛の存在だと語っておられます。
「復興五輪を被災地の花で彩りたい」
2018年11月、野球とソフトボールの会場候補となった、福島県営あづま球場へIOCバッハ会長を案内した帰りの新幹線。
席が隣となった、東京五輪・パラリンピック組織委員会の事務総長に直接、被災地の思いを訴えました。
表彰台でメダリストにビクトリーブーケを渡すという習慣は、1984年のロサンゼルス大会から始まったとされていますが、花粉症や検疫などの論議から、東京大会の前回のリオデジャネイロ大会と冬季オリンピックの平昌大会では、生花のブーケは採用されていなかったのです。
被災地の皆さんの思いが伝わり、岩手県のリンドウ、宮城県のヒマワリと一緒に福島県のトルコギキョウとナルコランが採用され、3大会ぶりに生花のビクトリーブーケが実現し、被災地の復興を全世界に示すことができました。
復興の心象風景をさらに色鮮やかに。一歩、一歩、進めて参ります。
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