新ハマダレポート Vol.24.ーリスクコミュニケーションについて対談(その5)ー

新ハマダレポート Vol.24. 2023.11.6

ーリスクコミュニケーションについて対談(その5)ー

8月6日に開催された、高村館長(東日本大震災・原子力災害伝承館)と、リスクコミュニケーションを中心とした対談について、第5回目のご報告です。

前回ご報告した、住民懇談などでの要望実現を通じて実感したことは、「小さな声を聴く力」の「大きさ」です。

避難生活が長期にわたり、住民の皆様の多くは疲れ切っておられました。「何かご要望は?」とお聞きしても、殆ど手は上がりませんでした。政府への信頼が失われていた状況では当然です。「要望したって、どうせ何もしないじゃないか」。そう思われていたのでしょう。

本当にお困りのご要望は、懇談会終了後、近寄ってこられて、「これなんとかならないでしょうか」と、つぶやくように言われたことばかりでした。

しかし、前回でご紹介した、借上げ仮設住宅のバリアフリー化工事や、プレハブ仮設住宅のエアコン・照明等の移転などが「カタチ」になると、次々と「小さな声」が上がり始めました。

「小さな声」は、ある意味では復興政策の「課題」なのです。「課題」がわかれば、復興庁や関係省庁の対応も明確になり、さらにそれが「カタチ」になれば、また「小さな声」が上がる・・・・

これが、復興の「歯車」となり、その回転の中で政府への信頼が修復されていったのだと思います。

一方、当時の福島の異様な光景は、「黒いフレコンバック」の山でした。学校や公園から始まり、各家屋の敷地・農地等に至るまで除染が進みだすと、その除染土壌で仮置き場が満杯となり、それらをいったんどこかに集約化する「中間貯蔵施設」がなければ、もはや除染も復興も進められない状況に立ち至っていたのです。

福島県内の除染で、2500万立米(東京ドーム20杯分)の除染土壌等の発生が見込まれ、草木の減容化などを行っても、1400万立米(同11杯分)を中間貯蔵する場所を、どこの市町村にお願いするのか・・・

最終的には、2014年9月に福島県が、また、2015年1月に、その受け入れ先の双葉町・大熊町が、苦渋の決断で受け入れ同意をして頂きました。

この中間貯蔵施設については、搬入開始後30年以内に県外処分完了のための措置を講ずることが、前民主党政権で決められており、その方針は2014年11月に法律で明記されていることから、与野党問わず、その責任を果たさなければなりません。2015年3月に搬入が開始されていることから、あと22年しかないのです。

今年の3月10日に双葉町の拙宅を訪問頂いた小泉進次郎前環境大臣とも、政治への「信頼」をなくしてはならないとの思いを確認し合いました。

次号は、子ども被災者支援法を中心とした、「自主避難者」とのリスクコミュニケーションについてです。

 

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